「アレンジメントパレット」~乳白色のもやへ切り込み~






まどろみの世界が急激に遠ざかっていき、まだ早朝だというのに目が覚めた。ここは自分の部屋で、普通にベッドで寝ているだけ。明るい陽射しを健気に遮っているカーテンもいつも通り、変わったことなんて何ひとつない。



そうだ、変わったことなんてないはずの日だった。カレンダーをじっくりと見たって、今月の予定も印も何もついていない。ただの真っ白。それなのに今日の日付だけ、くっきりはっきり目にとびこんでくる。何気ないふりを装っていても、この日をどれだけ大事にしていたか知らされたみたいで、ツナは毛布の中でこっそり苦笑した。



「一年たったよ、ごくでらくん」



ぬくまったベッドの中、そっと呟いて寝返りをうつ。頭の中で時間を一年分だけ巻き戻せば今日という日の大切さがよくわかった。獄寺隼人ときっちり向き合っていこうと決めた日、それからちょうど一年。うんとお祝いしようと約束したこともある。






実は、いまだにツナは悩んでいた。どんな顔して会おうか決めてない。一番初めになんて声をかけようか決めていない。特別なことをしようと言い出したのは、たしか自分のほうだったけれど、なにをしたら特別になるのだろう。



いつもは「今日で○ヶ月だね」とまったり過ごしていたし、二人で秘密の計画を立てたわけでもない。とりあえずケーキやお菓子を奮発してプレゼントを贈るつもりだった。でも、ためしに買ってみた贈り物は誕生日やクリスマスと大差ないような気がして、メッセージカードなんてつけてみたものの、どうもしっくりこない。一番大事なのは、まごころだって頭じゃわかっているけれど―――



付き合いが長くなればなるほど、悩みなんて勝手に消えていくと思っていたのに、それはどうやら違ったみたいで。いまだに、こんな具合に小さな問題を手にとっては、ひとつひとつをじっくり吟味しすぎている。振り返ってみればいつも、こんな些細なことを真剣に考えてヤキモキしている。






―――獄寺君ならどうするんだろう。



目蓋の裏に浮かぶのは満面の笑顔を惜しみなく与えてくれる人。自然と得体の知れない焦燥感が和らいでいくのが不思議だった。



が、それもそのはず。



この一年で、気がつけば心の中には獄寺がすっかり居ついてしまっていた。悩みがなくならなかった代わりに、獄寺の笑った顔、悲しげな顔、少々ムッとした顔がツナにヒントを与えてくれる。そうすれば、一人で抱えていたモヤモヤが、どこかしらへ向かって動いていくのだ。



獄寺君がいてくれれば、なんとかなる。





エネルギーの源とも言える存在を強く意識した途端、ツナは、とことん貪欲になってしまった自分に気づいた。今すぐに獄寺に会いたくなってしまったのだ。



ほっといたって数時間もしたら顔をあわせるだろう。しかし、頭の片隅では、起きて、準備して、走っていけば今すぐ会えるだなんて、突拍子もない計画を思い描いている。ツナの冷静な部分が、いきなり訪ねようものならビックリされるぞと警告している。でも、突然のひらめきが心をめちゃくちゃに揺さぶってくる。



会いたい。どうしようもなく顔を見たい。会いに行っても大丈夫だろうか。不安。でも、会いたい。いますぐに声が聞きたい。






いいや。会いに行ってしまえ。



思い切って布団を跳ねのけたら、あとは体が知っているらしい。ツナは部屋を飛び出していた。







 *






突然の計画通りだった。ツナは獄寺の部屋の前で弾む呼吸を整えている。無鉄砲にも、本当にここまで来てしまったのだ。



しかも、会いたくて急いで来たのに、いざマンションのドアを目にすると勢いだけの行動がためらわれた。指とインターフォンの間の距離をゼロにする。それだけの行為なのに、まるでこれからバンジージャンプでもするみたいに、えらく勇気がいる。



そういえば、母さんでさえ「どうしたの?!今朝は早いのね!」といった具合に驚いたし、道中にすれ違ったのも早朝の散歩を日課としているような人だけだった。朝の喜びを歌う鳥達のさえずりが耳に残るほどに静かだ。





今時の中学生代表のツナにしたら、この時間帯は起床時間にしてはあまりにも早すぎた。寝てるところを起こすのも気が引けるし、ドアから機嫌悪い顔が出るのを待つというのも、軽くヘコめる気がするだけに微妙だ。



しかし、だからといって、いつまでもグダグダしているわけにもいかない。清々しい空気もひたひたと頬をうってツナをせかす。それなりに理由はある。特別な日ってことで許してもらおう。






結局、獄寺に甘えきっている自分には目をつぶって、えいやっとインターホンを押した。その瞬間。



いきなり、ドアがぐわっと開いた。





「10代目っ…!おはようございます!」



なんと、獄寺がひょっこり顔を覗かせたのだ。まだ、「ピンポーン」の「ピ」の音すら鳴っていないのに。ビックリしすぎたツナはドアに頭をぶつけそうになって軽くよろめいてしまった。



「お、おはよう…!」



あまりの反応の速さ。寝巻き代わりのパーカーにスウェットというラフさ。なりふり構わず出てきたのがよくわかる。咄嗟に挨拶をかえせたのが奇跡なくらいパニック状態の脳裏には、なぜか飼い主の帰宅を第六勘で察知する犬が過ぎった。



「え、わ、いくらなんでも、それはチョット!犬はないよなー、犬は…」



驚きすぎて真っ白になった頭が創り上げた仕様もない世界。さらに、声になってしまったセルフツッコミは救いがたく、ツナが失言に気づいたときには、



「すみません10代目っ!……犬?!」



と獄寺が律儀に反応してしまう有様だった。



「いやいやいやなんでもない!なんでもない!てか、朝早くにごめん!」



せっかく会いたくてきたのに、この出会いは一体なんだ。相変わらずのダメダメな自分を心の中でポカポカ殴りながら、ウッカリ口走ってしまった失礼極まりない発言も謝る意味でゴメンと手を合わせる。そうして、朝っぱらから、わけのわからない闖入者と成り果てた自分をあらん限りの力で呪った。






にもかかわらず、獄寺は優しかった。ブンブンと首を横にふって、ツナが合わせてる手をムリヤリ引っ込めさせたのだ。



「や、オレは今から10代目に会えて、スッゲーうれしいっス!」



顔中にひらめいた笑顔は、ツナが想像していた以上にまぶしい。



よかった。



安心したら、体中に張り詰めていた空気がしゅーっとぬけていく。しかも単純なことに、さっきまでの不安なんてのも、すっかり全部吹っ飛んで堪らなく嬉しくなってきた。あははと二人、ひとしきり笑って、あらためて「おはよう」の挨拶をかわしたら、簡単に仕切りなおしができてしまうのだ。



やっぱり獄寺はすごいなと、ひそかに感心していると、「入りませんか?」と、遠慮がちに招く声が頭上から降ってくる。






こうして、ツナは一歩進んで玄関に足を踏み入れ、まだ指輪すら付いていない獄寺の手が厳かにドアをしめた。


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