■分かれ岐 2




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「…所詮オレには、ボスの右腕なんて大役、無理だったのかもしれない」


違う、きみはもっと、大きな世界で生きるべきひとだ。オレと違って。


「パスポートと他人名義のカード、トランクの内ポケットにあった小銭。…お返ししますね、10代目」


思わず、カーテンの裾を握り締めた。
明らかに、窓辺の綱吉に気づいて話しかけているその声は、笑みも含まず透きとおって、部屋の空気に溶けて消える。
静かに絨毯を踏む音が、少しずつ近づいてきて、カーテンの前に止まる。生唾をのみ込む音って、こんなに大きかっただろうか。


「…どうぞ、10代目」


カーテンの裾に不自然な皺を作っていた手の上に、冷たい手が置かれ、それから綱吉の手の中に、財布らしきものが滑りこんできた。


「どういうつもりなの?」


綱吉は押し殺した声で尋ねる。
もはや、逃げることは叶わないだろう。


「単に宿を変えたがってるとか、鬼ごっこでもしてると思ってるの?
オレは、明日の会議に出たくない。10代目として御披露目されるのが怖い。ほんとは、マフィアになんかなりたくないんだ!」
「そうですね。生きる道は、ご自分で選ぶべきです」


綱吉は混乱する。
一瞬、見逃してくれるのだろうか、とも思う。
いや、のこのこ出て行ったら、引っかかったなとくびねっこを掴まれるのだろうか。


「恥ずかしながら、さっきのご質問について考えてたんですが、…本来、あなたに右腕として選んで貰えなければ、何の意味もない。
ボスとしてのあなたを支えるのに、結局オレは役不足だったんでしょう…でも、もう一度、チャンスを頂けませんか?」
「チャンスって…?」
「失礼ですが、まだこの国の言葉にご不自由がありますよね。僭越ながら、オレはこの国に多少の土地勘もある。…この先も、あなたの行く道をお手伝いする者として、オレを使って頂けませんか」
「な…なに言ってんの!…オレがいなくなったら、きみがボスになったら良いって、」
「まさか!ブラッドオブボンゴレが許しませんよ」


ああ、右腕になりたい、とはそういう事情だったのか。自分だけでなく、彼の上にも影を落とす、生まれながらの選別をなんて酷なんだろうと思う。
しかし、別にその話に傷ついたというわけでもなさそうに、添えられた手には少し力が入る。


「で、でも!きみこそ、マフィアのボスの右腕になる夢は叶わなくなっちゃうよ!」


顔を見たら聞けない。綱吉はそれでも、厚手の襞の向こうを見透かそうと目を凝らした。
しばらく息を詰めて考えていた獄寺は、再びその手を握り返した。


「確かに、最初はそのつもりでした。しかし、しばらくこうしてあなたのそばにおいて頂いているうちに、あの頃とはまた別の、新しい感情を学んだような気がします」


新しい感情?
綱吉にはまだわからない。
でも、優しい声だけは、十分に胸に染み渡る。


「いつも、ひとをたて、ひとの後ろに隠れるような、あなたの奥ゆかしさには感銘を受けましたが…もしそれで、力を出し切れずに窮屈な思いをしてきたのだとしたら。本当に進みたい人生をご自分で選ぶべきです。
どうか、オレにも教えて頂けませんか。あなたの本当の夢」
「べ、別に、…なにかやりたいことがあるわけじゃ、」


言いかけて、それは如何にも失礼だと感じた。
仮にも、綱吉のわがままの為に、自分の夢を捨ててくれるという獄寺に、その価値のある夢を、自分は差し出せるだろうか。


目に浮かぶ光景は、今日訪れた小さな公園。
子供たちや動物たちに囲まれて、目を細めて優しく笑う、名もない老人。いつしか、そのひとのまわりを取り囲む笑顔は、ふるさとの街で憧れの視線を送ることしかできなかった少年や少女の顔をしていた。
灼けるような痛みは、ただただ、その光景が、愛おしかったから。


「夢、そうかもしれない。今日、9代目に会って、羨ましいって、思ったんだ」
「…そうですね」


素直に頷く気配に、綱吉は少し、喉元が熱くなる。
伝わったのかどうかはわからないけど、でも、嬉しかった。


「…でも、それならさ。よく考えたら、一旦ボンゴレのボスになって、それから引退しないと、駄目だったね」
「え」


だって、その夢の中で、笑顔の老人は、今のオレの顔をしていないから。


覚悟を決めるときがきたと思った。
ここから一歩踏み出したら、マフィアとしての人生の幕が上がる。



握られていない、もう一方の手でカーテンを捲った。


「…獄寺くん、ごめん」


薄暗くなった室内で、間近に立つそのひとの、瞳だけが小さな光を湛えて、なぜか眩しそうにこちらを見つめていた。


「やっぱり、これから晩御飯食べに行こう。そして早く寝て、明日の朝の飛行機に乗ろう」
「…それで、いいんすか?」


心なし期待を込めて念を推すように、獄寺は尋ねる。


「うん、…あの、しょっぱなから遅刻じゃ、新米のボスと右腕の、威厳に関わるよね」
「…分かりました。では夕食、すぐに手配します」


獄寺は、余計なことは言わない。
ただ、上品に片膝をついて、こうべを垂れて見せた。


「あの、…」
「はい、なんでしょうか?」


改めて頼みさえすれば、きっと獄寺は断らない。心なし目を輝かせて綱吉を見つめる真顔を見たら、言葉に詰まった。


「…ありがとう」


結局、いつもと同じ労いの言葉しか言えない自分の声は、しかしさっきまでの自分とは違うような気がした。


「右腕として当然のことです」


そんな綱吉を見上げる獄寺の目に、自分がどのように映っているか、まだ良くわからない。
でも。


例えば50年後、小さな街の小さな公園で、穏やかにひなたぼっこをするときも。
このひとはそばに居てくれるような気がするなんて。


「…ありがとう」


余りにも根拠のない予感を告げる資格など、まだ、ないと思った。





20080524、0531 Presented by Toto

途々さん、ありがとうございます。何度でも何度でもグラーツェ!

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